不吉な雨音を響かせながら、漆黒の闇が容赦なく深みを増す。
今朝方出かけたきり、帰ってこない少年の面影を
神田は一人,、部屋の中で想い描いていた。



「……アイツ、何やってやがんだ……?」



今日幾度となく呟く言葉に気づいて苦笑いを浮かべる。


この街についてから、本来ならば己の身体の傷の疼きに苦しんでいるはずが、
予定外のアレンの行動に振り回されてばかりで、痛みを感じている間もなかった。
そればかりか、あの少年の無垢な笑顔を見るたびに、
無意識のうちに癒されている自分がいた。
その証拠に、傷の治りがいい。


コムイは今回受けた傷の治りが遅いと電話でぼやいていたが、
レベル2のAKUMAに受けた傷は、思っていたよりも酷いものだった。
下手をすれば命を落としていても不思議ではない。


それほど酷い傷を追いながらこうして無事で居られるのは、
己の並外れた回復力のせいだけではない。
傷を追ってから毎日健気に、神田の元に通ってきたアレンのお陰でもあるのだ。


初めは鬱陶しく思っていた彼が、
今ではその姿が見えないでだけで落ち着かない。


アレンはこの街に気がかりな事があると言っていた。
誰か知り合いでもいるのだろうか。
それとも……


ふと悪い予感が頭を横切ったが、神田はその考えを無理やりかき消した。
だが、アレンのことが心配な事実に変わりはない。


アレンが夜遅くまで帰ってこないなど、
何かのトラブルに巻き込まれたとしか考えられなかった。



「……探しに行ってみるか……」



神田は意を決して立ち上がった。



するとその時。



トン、トン。



ドアをノックする小さな音が聞こえた。



――― モヤシ ―――?



しばらく待ってみても誰も入ってくる様子はない。
神田は不思議に思って、ゆっくりと自室のドアを開けた。



するとそこには、知らない一人の女性がいた……













◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇














――― ピシャリ  ピシャリ ――――



窓を打ち付ける雨音が頭の中に響き渡る。



アレンは何ともいえない不快感にその重い目を開けようとした。
体は鉛が入ったように重く、自由に身動きが取れない。
頭の芯がズキズキと痛んで、思考を邪魔した。



―――― ここは……どこだっけ……?



薄く靄がかかった頭の中は、自分の居場所すら重い出せない。
何故だか咽喉が異様に渇いている。
ムカムカと胃から逆流してくる不快な酸臭が、
アレンの不快感をより一層激しくした。



―――― そうだ……確か、僕はマナに会って……



正確にはマナにうりふたつの人物に出会い、
男に誘われ、彼の家にお邪魔した。
出されたスープで冷え切った身体を温めようとそれを飲み干し、
男性からマナとの関係を聞こうと思った矢先、いつの間にか意識が遠のいたのだ。
だとすれば、ここはまだ彼の屋敷の中という事になる。



「……ううっ……」



気持ちの悪さに寝返りをうとうとするが、身体が思うように動かない。
その瞬間。



―――― カシャ ――――



嫌な金属音がすぐ傍から聞こえる。
それと同時に、自分の腕が何かで拘束されているのを感じた。



「……つっ!……」



重い目蓋を無理やりこじ開け、音のするほうに眼を向けると、
そこには薄黒い鉄の枷に自由を奪われた己の両腕が見える。
腕だけではない。
身体も両足も全て鎖で繋がれているではないか。



「これは……どういうこと?」



自問するように小さな声で呟くと、
まるでそれを聞きつけたのかのように、もう一つの声が背後から聞こえてきた。



「おや?目が覚めた?
 さすがにエクソシストなだけあるねぇ。
 けど、キミの場合、今日限りでそのお役目も御免なわけだけど……」
「……えっ?」



その声の主は他ならぬマナとそっくりな男性のものだった。



「すまない……キミに恨みはないんだ。
 それどころか申し訳なくさえ思っている。
 ただ、どうしても譲れない理由があってね……
 悪く思わないでくれ」
「……それって……どういうことですか?」



未だに事情を飲み込めないアレンは、苦しそうな表情で問いかける。



「さっき会った妻が病気でね。
 治療に多大な費用がかかるんだ……
 ご覧のとうり、今じゃ貴族なんて名ばかりの生活だ。
 どうしたらいいのかと途方にくれていたところへ、
 キミを差し出せば大金をくれるという人が現れてね……」
「…もしかして……」



アレンの脳裏には、先日ホテルで出会った男の姿が思い出された。
まだ自分が小さい頃から、何故かしつこくアレンを追いかけてきていた。
借金返済を理由に、自分の囲われものにならないかといわれた事さえある。
執拗な性格のあの男ならば、昨日の神田のことを根に持って
自分にこれぐらいの嫌がらせをするぐらい考え付くだろう。



「その黒い団服からみて、キミは噂に聞くエクソシストだろう?
 何でも得体の知れない化け物相手に
 凄い戦いぶりを見せるって言うじゃないか。
 とても正面から向かっていって敵う相手じゃなさそうだからね。
 申し訳ないとは思ったけど、さっきのスープに眠り薬を盛らせてもらったよ。
 普通2〜3日は目を覚まさない量のはずなんだけど。
 さすがだなぁ……ものの数時間で目を覚ますんだから……」



男が儚げな笑顔を見せる。
そこには大義名分のために、自ら良心を捨てた悲哀が見て取れる。
この男が、中年男に金で釣られて自分に近づいてきただけとは考えずらい。
だとすると、マナを知っているというのも、全て企みのうちだったのだろうか?



「……あの……ひょっとして、貴方はマナのこと……
 何も知らなかったんですか?
 僕に近づこうとして、マナを知っている振りをしたんですか?」



だとしたら、こんな哀しいことはない。
マナにうりふたつの人物を探して雨の中に何時間も佇み、
挙句の果てにまんまと罠にはまって、この始末なのだから。


男はアレンの繋がれているベッドの端に腰掛けて、
アレンの髪を優しく梳いた。
その仕草はまさにマナそのもので、
アレンは自分が理不尽な拘束をされている事すら忘れてその感触に酔いしれた。



「僕は……キミの事をずっと昔からしっているよ?
 アレン・ウォーカーくん……」



まだ自分の名前を名乗っていなかったアレンは、
男の言葉に驚いて目を見開く。
だが目の前にいた男の顔からは、さっきまでの優しそうな笑顔が消えていた。


まるでジギルとハイドが入れ替わったように、
その表情からは殺気に満ちた気が伝わってくる。



「……マナの……彼の死も知ってるよ……
 彼は僕の分身のようなものだからね。
 だってマナは……僕の双子の弟だから……」
「……えっ?!……」



アレンは男の言葉に心底驚いた。
今までマナに家族がいるとも知らされたことはなかったし、
天涯孤独で自分を拾ってくれたとばかり思っていたからだ。



「キミはそんな僕の弟の愛を、一身に受けて育った忘れ形見って言うわけさ」



もともと格式高い貴族の家に生まれた二人は、その相続を巡って
醜い権力争いに巻き込まれていた。
本来双子という存在は、
世継ぎを必要とされる家系には忌み嫌われる存在である。
出生が同じというだけで、権力争いの格好の餌食になるからだ。


二人が生まれた当時まだ栄華を極めていたこの家は、
待ちに待っていた世継ぎの誕生にざわめきたった。
だが、その財産を狙ってあれこれ裏工作つす輩も少なくなかった。


そこで弟のマナは生まれた時からその出生を伏せられ、
使用人の子供として預けられていたのだ。



「僕の人生なんて、金目当ての連中に作られたようなもんさ。
 その証拠に見てご覧よ。
 お金が無くなったらこのザマさ。
 誰も僕の傍に残ってやしない。
 今でもここに居てくれるのは一人だけ。
 病でいつ死ぬとも知れない妻だけなんだ……」



男は貴族らしからぬ、傷だらけの掌を見つめて、悔しそうに呟いた。



「幼い頃は誰も僕の事なんて見てくれなくてね。
 僕の後ろにある肩書きとか、金の臭いにしか目をむけなかった。
 母は僕らが生まれてすぐ死んでしまったし、父は女遊びに夢中で
 僕のことなど振り向きもしなかった。
 寂しかったよ……毎日がまるで地獄だった……」
「……そんな……」
「そんな僕に血を分けた弟が居るって知ったときの気持ち、
 アレンくん、キミにわかるかい?」



誰にも相手にされない惨めな気持ちは、
それこそ誰よりも理解できる。
だが、そんな幼いアレンが唯一救われたのは、他ならぬマナの存在だった。



「僕は血を分けた弟の存在を知って、嬉しさに胸が弾んだ。
 彼を探し出して、事あるごとに彼のことを見ていたよ。
 本当は兄だと名乗り出て、一緒に暮らしたいとさえ思っていたんだ。
 ……なのに……
 彼は……マナは違っていた……
 貧しくても、彼の周りにはいつも人と笑顔が満ち溢れて。
 そう……人身御供にされたのは、マナではなくて、僕の方だったんだ。
 彼は自由で快活で、貧しさになど負けない強い精神力を持っていた。
 僕が持っていないものは全部、彼が持っていたんだ!
 自由に生きられる彼が羨ましくて……妬んだよ……
 僕が牢獄のような生活に耐えている間、
 マナは自由に色んな場所を旅して回ってて。
 悔しかった……
 もしかしたら、あの場所に居たのは僕だったかもしれないのに……」
「……けど……マナと僕たちの生活はとても貧しくて……
 最後は病気なのに治療するお金もなくて……
 苦しんで……苦しみながら死んだんですよ?
 そんなマナが羨ましいって言うんですか?」



アレンはマナが息を引き取る間際の苦しそうな顔を思い出し、
その瞳に涙を浮かべた。



「けど、少なくても彼は皆に愛されていただろう?
 キミにも、仲間にも……そして彼女にも……」
「……彼女……?」
「ああ……さっき会った、僕の妻だよ?」
「……?!……}
「彼女は昔、マナの恋人だった……
 だけど、マナばかりがどうして人に愛されるんだい?
 僕にだって人に愛される権利はあるだろう?
 だからね……僕がもらったんだ。
 彼女だけじゃない……
 マナのものは、全部僕がもらう事に決めたんだ……
 彼女も、キミも……全部ね……」



男の瞳の中に一筋の狂気が光る。
確かにマナはアレンに会う前のことを話そうとしなかった。
生まれた家のことも家族のことも、恋人のことも……
もしかして、マナは全てを知っていて、
この街に近寄ろうとしなかったのだろうか?

 
だとするとマナは、目の前のこの男のことをどう思っていたのだろう?
恨んでいた?
……それとも……


マナの気持ちを考えただけで、
アレンの瞳から無意識に涙が溢れていた。



「だから、諦めておとなしくしてくれ……」



アレンは耳元で呟く悪魔の囁きに、
ただ黙って涙を流すしかなかった。











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≪あとがき≫

明らかになった男の正体。
さぁて、これからアレンくんはどうなってしまうのでしょうか??
そして神田の前に現れた女性とは?
続きをお楽しみにして下さいv














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Spiritual whereabouts    8
           
――魂の在り処――